この世界はエネルギーでできている

f:id:consciousworld9:20180530110942j:plain

 

頭の中に生まれる思考はエネルギーによってできている。例えば怒りのエネルギーはまずあなたを痛みつけ、あなたの表情や言葉や身体的な動きを通じて他者に伝わり、他者をも傷つける。

 

あなたの思考にはどんなエネルギーが混ざっているか?その思考がネガティブなエネルギーによってできているのであれば世界を少しネガティブにすることになる。ポジティブなエネルギーからできているのであれば世界は少しポジティブになる。そしてそのどちらにも執着してはならない。

 

思考は意識の場で展開する。思考によって生み出される感情も意識の場で展開する。要するに思考と感情が生きていくには意識の場が必要なのだ。しかし、意識は存在するために思考も感情も必要としない。

 

我々人間は思考と感情に支配されながら生きている。寝ている時以外は常に何かを考え、その思考によって生まれた感情によって怒ったり不安になったり心配になったり嬉しくなったりワクワクしたり誇らしくなったりする。思考と感情がほとんどの人間の人生を支配している。

 

「いま、ここ」に意識を向けた時、思考と感情は存在する場を失う。思考と感情は過去と未来にしか生きることができないからだ。意識の場に過去と未来という幻想の住処を作り、そこに暮らしている。あなたが頭の中で余計な情報処理を一切せずに今感じている身体感覚、音、匂い、目に写るもの、それらをありのままに感じていればあなたは苦しむことができない。

 

初めは呼吸に意識を向けてみるといいだろう。吸っている時は体の中に空気が入ってくる感覚に意識を向け、吐いている時は体から空気が出ていく感覚に意識を向ける。苦しいとか、もっと吸いたいとか、つまらないとか、そういった価値判断を一切挟まずにありのままを感じる。それによってあなたの「今にある感覚」が強まっていく。

 

「今にある意識」は思考と感情を焼き尽くす。あなたと世界を苦しめるだけの思考は「今にある意識」によって焼き尽くされ、あなたは人生に「実感」を取り戻す。思考はあなたを苦しめる暴力装置から便利な道具に変わる。この時あなたはあらゆる苦しみから解放されているはずである。

情報を受け取る側から発信する側に回ることがいかに重要か。

f:id:consciousworld9:20180525221226j:plain

 

朝の電車でスマートフォンはなるべく使わない。頭が一番冴えてるこの時間帯にネット

の玉石混交な情報を脳にぶち込むなどという自滅行為は避けたい。朝一は創作活動に向いてるのだ。僕の場合は文章を書く。それか瞑想。それか本。

 

スマホでゲームしたりSNS見たりネットサーフィンしたりYoutube見たりしてる時の脳は思考停止状態にある。テレビを見てるのと一緒だ。ご存知の通り、テレビをずっと見てるとバカになる。スマホも同じ。

 

スマホもテレビも「使われる」のではなく使わなければならない。何か情報を集めるにあたってスマホより便利なものはない。必要な時に必要なだけ使うのであればあなたの人生における強力な武器となるだろう。しかし、ほとんどの人のようにスマホに「使われる」ようになったらあなたはスマホの奴隷だ。空き時間は全てTwitterFacebookInstagramの確認時間に当てられ、ただ流れてくる無益な雑音を脳に流し込むことに人生の大半を費やすことになる。

 

大衆から抜け出すための絶対条件は情報を受け取る側から情報を発信する側に回ることである。多くの人が情報を受け取る:100% 情報を発信する:0%で生きているのではないか。ほんのちょっとしたことでもよい、まずは「情報を発信する」という行為をすること自体に意味がある。初めは情報を受け取る99.9% 情報を発信する:0.1%だったのがだんだんと「情報を発信する」の割合が増えていくだろう。情報を受け取る:40% 情報を発信する:60%くらいになったらあなたはもう大衆から脱している。

 

初めは量がモノを言う。質は後からついてくる。情報を伝える媒体(メディア)は何でもよい。Twitter(ちょっと短いけど)、Facebook(記事とかシェアしたり文章量も確保できる)、Instagram(モデル?自分という存在の情報を写真・Instagramという媒体(メディア)を使って世に発信していると捉えよう)、Youtube(面白いYoutuber参考にしてやってみたらいい。今一瞬にして「俺には関係ねぇ」「そんなん無理や」という思考が頭に走ったやつ、それが勝手な思い込みであることに気付くべし)、ブログ、本、ラジオ、ニコ動、マンガ、何でもある。自分にあったものを使えばよい。普段情報を受け取るために使っていたメディアを情報を発信するための道具として使うのだ!!!情報発信を始めかつ継続するためのコツは最初からすぐお金を稼ぐのを目的にしないことである。楽にお金を稼ぐだけだったら別の手段はいくらでもある。情報発信をする目的を小銭を稼ぐことにしてはならない。例えばブログを書き始めても最初の記事なんか誰も見ないかもしれない。20記事投稿しても数十とか数百pvくらいかもしれない(いや、最初はほとんどの人がそうだろう)。情報発信の目的をお金を稼ぐことにしてしまうと途中でその非効率さに気付き多くの人は辞めてしまう。そうではなく、「情報を受け取る側」から「情報を発信する側」にマインドチェンジするために情報を発信し続けるのだ。宇宙の法則で集中するものは拡大する。いつしか情報を発信するのが当たり前になるだろう。有益な情報や隠された情報、99.9%の人が知らない情報は情報を発信するところに入ってくる。

 

あなたがどれだけすごいことを考えてても、世の中をひっくり返すようなアイデアを思いついても、それを何らかの形で表出させない限りそれはこの世に存在しないのと同じである。まずはボールペンを手に持ちノートを開くこと。情報を発信する身体的な状況を作ること。するとあなたの頭にある考えや創造力が言葉となってこの世界の表れるだろう。

時間という幻想、幻想に生きる人間。

未来でなにかを経験したことはありますか?

あるいは未来に存在したことは?
未来で晩ご飯を食べたり仕事をしたり旅行したりしたことがある人はいるのでしょうか?
 
未来が幻想に過ぎないというのは容易に理解できそうですね。未来を経験したことがある人はいないでしょうし、「未来はどこにあんだ?」と聞かれて答えられる人もいないでしょう。
 

f:id:consciousworld9:20180520201313j:plain

 
過去はどうでしょう。過去に京都に行ったことがある人はいそうですね。電車に乗ったり仕事をしたりしたことがある人も多そうです。過去にサッカーをしたことがあって過去に彼女と付き合ったこともあって過去には腕を骨折したことがある。ちゃんと覚えてるし、確かにそういう経験をした。間違いなくした。
 
では、その過去はどこに存在するのでしょう?
記憶ですね。あなたの記憶にしっかりと刻まれているし、写真や日記を見たら過去を振り返ることができる。自分のこれまでの行動を事細かに調べれば「自己分析」ができます。自分がどんな人間か「わかり」ます。
 
もう一度質問。その過去は「どこに」あるのでしょう?
本当に記憶の中に存在するのでしょうか。写真や日記が過去が存在することの証明となるのでしょうか。過去の出来事を頭の中で再現しているのは「今」ですし、写真や日記を見ているのも「今」です。どうやったら過去にたどり着けるのでしょうか?
 
過去は存在しません。あるのは常に「今」です。それを経験した時は「今」でした。その経験を頭で再現しているのも「今」です。これからも全ての出来事は「今」展開していくことでしょう。私たちが「今」以外に存在したことはこれまで一度もありません。これからも。
 
私たちは今にしか存在しないのに、頭では常に過去や未来のことを考えています。2時間前にやっちゃった仕事上のミスを頭の中で反芻して落ち込んだり、来週のプレゼンを不安に思ってそわそわしたりします。思考は今にじっとしてることがどうしても出来ないようです。ネガティブな考えというのは私たちに刺激を与えてくれますからね思考は私たちが苦しんでるのにも関わらずひたすら刺激を求めて突っ走るみたいです。
 
もしあなたが「今」を取り戻したなら、全ての苦しみから解放されます。頭の中で壊れたテープレコーダーのように繰り返し発せられる声をただ観察しそれが静まるのを待つなら、条件づけられた思考パターンは消えていきます。あっちにいったりこっちにいったりせず、ただ呼吸に意識を集中させるならあなたは落ち着きを取り戻します。ただ、思考はどうしてもそれを嫌がるようです。思考は過去か未来の中でしか生き延びることができないようです。
 
頭に勝手に生まれては勝手に消えていく思考に自分を同一化するのをやめましょう。思考を自分と見なすことをやめるのです。思考を今にある意識から切り離さない限り、あなたは一生思考に振り回されます。思考の奴隷になるのではなく、思考の主人になるのです。道具として思考を使うのです。
 
最初のステップとして今すぐ出来ることはなにか?呼吸に意識を向けることです。スマートフォンを閉じ、何かを考えてる自分に気付き、意識をそっと呼吸に向けてみてください。ほんの数秒間でもやってみるとあなたはこれまでにない静けさに包まれるはずです。

会社員でない生き方、起業家に限らず。

頭のいいやつが起業家として大成するわけではない。慶應でも東大でもスタンフォードでもいいけどそういった大学を出て起業したやつらがみんな成功してるわけではない。お勉強は一生懸命やったやつらが起業家としては全然ダメ。一方で大学なんか出てなくても立派な企業を作り上げたやつは沢山いる。頭がいいというのは起業家として成功するための1要素でしかないのだ。それよりももっと重要なことがある。

 

f:id:consciousworld9:20180520175710j:plain

 

これは人によって意見の分かれる話だし誰がどんな見解を持っていてもいいわけだけど、IQの高さだけで勝負するのはあまりにも危険に思えてならない(そういう危ない起業家が近くには結構いる)。おそらく彼/女らは自分は優秀で労働者として与えられた仕事をしてるのには我慢できない、僕私はもっとすごいこと出来るんだもんね!!!で起業してる輩が少なからずいるのだろうが、それはそれでよい。しかし人より頭の回転が速いからとか記憶力がいいからとか計算が速いからとかいう理由だけで自分を優れた人間だと思い込みよっしゃ起業だ!!!はさすがに危なすぎる。サバイバルナイフだけ持ってフル装備のプーチン大統領に突っ込むくらい危ない。

 

ではどんな人物が起業家として大成するのか?やはり色んな人が色んな本を書いてるのでそれを読んだらいい。参考になる本はいっぱいある(お前の意見はどうなんだ!!!)。

 

正直色んなタイプのすごい起業家がいるから一概に「これ!」というのは難しい。千差万別。しかしその中でも「ほとんどの成功した起業家に共通する要素」を抽出して真似ることが出来たら彼/女らと同じような結果を出せるかもしれない。

 

僕の独断と偏見だから無視してもらっても構わないのだけど大成功した&尊敬を集めている起業家のほとんどは実現したい世界があってその手段がたまたま起業だったという人たちだと思う。株式会社という形態をとる以上組織の目的は拡大再生産の金儲けなのだが、彼/女らにとっては金すらも自分の実現したい世界を実現するための道具に過ぎない。資本主義においては自分の理想を世界中で展開するには株式会社という形態が一番やりやすいのだろう。逆にほとんどの起業家が人生を失敗に終えるのは金を稼ぐこと自体が目的となり単なるマネーゲームで遊んでるだけになるから。彼/女らは実現したい世界も理念も使命感も何もなく自己利益を最大化させるためだけに身体が動いていく。他人からしたらその人の満足なんでどうでもいいから協力者は全然現れない。歴史に名を刻む起業家とは行動原理が真逆であることがわかるだろう。稲盛和夫はこう言ったらしい。「たまたま私に宇宙からの使命があって京セラを作っただけだから、私は偉くもなんともない」。

 

人にばかり相談するのではなくたまには天と相談したらよい。どういうことか?目を閉じて思考をストップし呼吸に意識を向ける。30秒とか1分とか2分のを1回だけやってやめちゃうのではなく、1日5分でもいいから毎日続けてみる。慣れてきたら10分でも20分でも時間を伸ばすといいだろう。スマホとテレビと雑音と思考のノイズでずっとかき消され続けてきた心の声が聞こえるようになる。すると自分の生き方が思考で理解するというの「ではない」形で見えてくるだろう。2日とか3日だけやって意味がないと辞めないこと。科学的でないと信用できないという人は「瞑想 効果」とかで調べたら瞑想の効果を科学的に実証してくれてる記事が腐るほど見つかる。

 

起業家の話からなぜ瞑想の話に流れたのかは謎だがそういうこと(どういうことだ???)。今生きづらさを感じてる人や人生の方向性が見えない人や迷いがある人は瞑想をするとよい。過剰なものは減っていき足りないものは補われるだろう。

クリエイティビティ、左脳思考からの脱却

左脳思考は新しいものを生み出さない。3+6=9というようなことをいくら繰り返しても今この世に存在しないものが生み出されるわけではない。
 
意識の状態が「今にある」時、つまり頭であれこれ考えていない時に降ってくるものがインスピレーション。ちなみに私は文章を書くときは「こういうことを書こう」とか「こんな構成で書こう」とかはなにも考えていない。頭の中で生起する思考をストップして「今にある」状態となる。なにも考えず「ただ、在る」。そうすると何かが降ってくるのでパソコンを前にしてたらキーボードを叩き始めるしスマホを持ってたらスマホで書き始めるし手書きがいいと思ったらボールペンでノートに書く。一旦書き始めると右手は止まらずにどんどん動いていく。この時、特に何も考えていない。ただ降りてきたものをそのまま流してるという感じ。
 

f:id:consciousworld9:20180519212922j:plain

 
物事を考えるにあたって論理的思考は土台となるものではあるけど、それだけでは新しいのもは生まれない。世界は動かない。思考も論理も道具に過ぎない。「降りてきたもの」を人に伝える時に使う道具とでも捉えておけば充分だろう。世界は論理で説明し尽くされるという考えは途端に人生を味気なくさせる。
 
左脳思考には答えがある。日本で育ったほとんどの人は日本型受験思考脳になってる可能性が高い。問題には必ず明確な答えがあると考える。無味乾燥な知識をひたすら頭に詰め込み一定時間内に正確な答えを紙の上に吐き出せたら偉いという教育を受けてきたのだから無理もない。就職の面接では正しい解答があってそれを外さずに答えていかなきゃいけないとすら思ってる。答えがあってそれは誰かが教えてくれると思ってたらそれは左脳思考と言っていいだろう。左脳思考が圧倒的優位に立つ頭脳から新しいものが生み出されることはない。
 
思考を止め、呼吸に意識を向けることで今に在る状態になることができる。これが瞑想だ。一切の思考を止め、一切の価値判断をせず、ただ呼吸に意識を向ける。その時あなたは揺らぐことのない安らぎにある。止まらない思考が暴走してることに気付いた時、ネガティブ感情に身体が乗っ取られてることに気付いた時にやってみるといいだろう。

エゴからの脱却。辛いことがある全ての人へ。

f:id:consciousworld9:20180519181855j:plain

 

エゴからの脱却。

 

政府のある高官が禅師にこう聞いた。

 

「自我(エゴ)とは何ですか?」

 

禅師は答えた。

 

「なんというくだらない質問だ、バカバカしい。」

 

高官は怒った。

 

「なんて口の聞き方だ!私を誰だと思っているのだ!!」

 

禅師は言った。

 

「それが自我ですよ。」

 

我々人間は思考で世界を切り刻む。エゴは思考でもって自分を定義しようとする。「自分は神奈川の横浜市出身で、親はこんな仕事をしていて、小学校から中学校までは野球をしていて高校では陸上、運動神経はよくて勉強もできる、校内模試では総合で6位、今までできた彼女は2人で趣味は読書、大学は学年で106番目の成績で卒業し今は都内の某IT企業に勤めてます。」

 

思考によって、言葉によって定義していくことで自分の本質が何かわかると本当にお思いだろうか?「自分はこんな人間」という情報をひたすら付け足していくことで自分が何者かわかると本当にお考えか?精神科医に頼んであなたの過去について分析した5000枚のレポートを読めば自分という人間がわかると、本当に思っているのか?

 

あなたの本質は意識である。思考や言葉で理解できるものではない。「私はこんな人」という思い込みがあるとしたら、それはエゴがなんとか自分という存在を定義したくて作り出した幻想だ。だが、エゴが作り出した「私はこんな人」はあなたの真の拠り所にはならない。

 

思考で自分を定義付けようとするクセをやめること。エゴが偽りの自分を作り出そうとしていることに気付くこと。ただ沈黙し、今に意識を向けること。

時間も地理も関係なく偉人と呼ばれる人達に共通すること。

f:id:consciousworld9:20180519170006j:plain

 

テイラー・スウィフトビル・ゲイツレディ・ガガ松下幸之助スティーブ・ジョブズイチロー稲盛和夫ビートルズミランダ・カー、マドンナ、マイケル・ジャクソン新渡戸稲造タイガー・ウッズクリント・イーストウッドGoogleFacebookデカルトパスカル。彼ら(いや、挙げればキリがない)に共通していることはなにか。瞑想である。

 

以下、瞑想について各人の見解。

スティーブ・ジョブズ

・じっと座って観察すると、自分の心に落ち着きがないことがよくわかる。

・直感が花開く。

 

マドンナ

瞑想をすることで、沈黙がどれだけのエネルギーを持つかよくわかったの。

 

デカルト

心を向上させるために、我々は瞑想をすることよりも、学ぶことを少なくすべきである。

 

新渡戸稲造

僕は一日の内、十分でもよい、否、せめて五分間でもよい、その間だけは、世の中を去り、喧騒から離れて、静かに沈黙することが必要であると信ずる。

 

小池龍之介

瞑想をすると感情や思考から離れ、「ただ、そこにいる」感覚になれます。「俺が俺が」と認められたいと思っていたけれど、そもそも「俺」なんてものはないと気づく。脳に感情を動かされているだけのちっぽけさに気づけた。

 

パスカル

人間の問題はすべて、部屋の中に1人で静かに座っていられないことに由来する

 

挙げだしたらいつまでも終わらないのでこの辺にしとく。とにかく歴史に名を刻むような人物はみな瞑想をしているようなのだ。これはあくまで僕の考えだが、瞑想をすると「自分」が薄まっていくからだと思う。普通人間は自己利益を最大化するように行動するようプログラムされているが、瞑想をすると意識が「ただ、今にある」状態になるので自分だの他人だのという境界線がなくなってくる。瞑想を習慣にすると自分がどうとか他人がどうとかいう考えが薄まってくるのだろう。そうなると今度は全体の目的のために行動するようになる。自己利益を最大化するために行動するでもなく、ある特定の人のためにだけ行動するのでもなく、全体のために行動する。だからこそ自分のことしか考えずに生きている人には到底想像もできないような偉業を達成することができるのだ。自分やある特定の人のためにしか行動しない人はその影響範囲が限られる。自己と他者という境界線がなくなった人は世界の目的のために行動するのだから、世界に影響を及ぼすのだろう。