21世紀に生き残る人、取り残される人
90歳で若造の時代
人生100年時代が到来しようとしています。
あなたは人類の寿命がどれほど早いスピードで伸びているか、数字ベースで理解していますか?
今から約90年前の1925年、男性の平均寿命は42歳でした。
それが35年後の1960年には、65歳を越えます。
今はご存知の通り、80歳を越えていますね。
単純計算で1世紀弱で約2倍伸びており、このままいけば2050年には平均寿命120歳というのも全くおかしくありません。
普通に考えたらわかるのですが、それでも「90歳で若造」という世界は想像しにくいですか?
では、あなたは次のような科学技術が開発されつつあることを知ってますでしょうか。
・原子単位で生命の分子を一から作り治す量子医学
・ヒト一人の全遺伝子の配列を決定する遺伝子シーケンジング
・ゲノムに潜むその人特有の個人的な秘密や、祖先がたどった移住ルートを読み取るバイオインフォマティクス
こんなものは目の前にある現実で、30年後には我々の想像が及ばないような未来技術が開発されていることでしょう。
もちろん医療の世界だけではありません。一般人が知らないだけで、世界ではとんでもない技術が開発・考案されつつあります。
・脳とコンピューターを繋ぎ、頭の中で発せられる電気信号をバイオフィードバックしてテレパシーを実現するブレインゲート(ブラウン大学の神経学者ジョン・ドノヒューが考案)
・fMRIを用いた夢の録画
・個々の原子そのもので計算する量子コンピューター(開発済み)
・人間の意識をインターネット空間に保存し電脳世界で永遠の意識状態を実現するマインドアップローディング
ここにあげたのはほんの一例で、人類の科学技術が向かおうとしている方向はこんな程度のものではありません。
21世紀3つのグループ
では、とんでもないスピードで科学技術が発展していく時代に私達はどうすればいいのでしょうか?
科学技術の発展よりも自分の頭が先んじていれば、人類を次のステージへと押し上げる先導者となります。
科学技術の発展に合わせ、同じスピードで科学技術を理解し知識を増やしていけば、時代についていけます。
科学技術が発展するスピードに自分の頭が追いつかなければ、時代に取り残されます。
一つ目にいるのは、ごくごく限られた一部の科学者だけでしょう。このグループに入るには、個人の努力だけでは難しいかもしれません。生まれ持った才能や運、周りの環境などにも左右されることでしょう。
では、二つ目。これであれば自分次第でなんとでもなります。
日頃から科学の発展に敏感になり、書籍で今どのような技術が開発されつつあり、どのような未来が待ち受けているのかをインプットしていけばいいのです。
それをしなければ、3つ目のグループに入ることになります。
2050年に生き残るには
以前にも紹介した認知科学者であり分析哲学者であり計算言語学者であり機能脳科学者でもある苫米地英人氏がおよそ30年後の未来である「2050年衝撃の未来予想」という本を出しています。
価格:1,620円 |
目次だけでも興味をそそられるので、いくつか抜粋を。
・2050年の”三種の神器”
・国家の概念の消滅
・「バーチャル国家」の誕生
・サイバー独立国の誕生
・人工知能でなくなる仕事とは?
・公務員はすべて人工知能になる
・生産性を劇的に向上させる道
科学技術を知らない人は、数十年後の技術をまるで魔法のように見ることでしょう。
時代に取り残されないためには、今この瞬間から頭の中を20世紀後半から21世紀後半に切り替えなければなりません。
今だけを見ているのでは全くもって不十分なのに、今だ昭和の脳みそで生きている人が信じられないほど多いです。
僕たちが生きる時代は、人類史上最も変化の早い激動の時代となります。
時代に自分の脳みそを合わせていくか、時代に取り残されるかは自分の選択です。最もエキサイティングな時代にたまたま生まれることができたのに、21世紀を存分に堪能しないのはもったいなくないですか?
『私は実のところ、人体の謎は今世紀のうちに全て解明されると思っている。だから今かろうじで考えられる程度のことも、将来きっと実現する。』
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99%の人が知らない『読書の秘密』〜読書で学歴社会を乗り切るには〜
学歴社会日本
あなたは学歴が人生にどれくらいの影響を与えると思いますか?
プレジデント社はこれについて興味深いアンケート調査をしています。
1970年代~2010年代の各年代に就職した関東、関西の働く男女計1000人にアンケート調査を実施したところ、出身大学がその後の人生にどれだけ影響するかについてこのような解答が得られました。
その後の人生にかなり影響する:59.7%
その後の人生に多少影響する:35.0%
就職活動に影響する:95%
転職活動にかなり影響する:29.5%
転職活動に多少影響する:46.5%
年収、昇進に影響する:60%
結婚に影響する:70%
数字で見ると学歴はその人の人生に多大なる影響を与えているようです。
では、受験戦争に敗れた人の人生はそれでもうオシマイなのでしょうか?
あんまりにも残酷ですが、上記のアンケート調査を見るとそう思わざるを得ないかもしれません。
しかし、人生のたったひと時、ある一定の知識を頭に詰め込んでそれを紙の上に吐き出すことが出来ただけの人が人生安泰というのもなんだかおかしな気がします。
データで見る収入格差
けど、残念ながらそれが現実のようです。
大学別の平均年収ランキングを見てみましょう。以下はDODA出身大学別年収ランキングからの抜粋です。
1位 東京大学 729万円
2位 一橋大学 700万円
3位 京都大学 677万円
4位 慶應義塾大学 632万円
5位 東北大学 623万円
6位 名古屋大学 600万円
…
97位 三重大学 434万円
99位 亜細亜大学 433万円
100位 神戸学院大学 432万円
やはり、高学歴とされる学校を出た人たちの年収はそうでない学校を出た人たちよりも圧倒的に高いようです。
人生を変える読書
そんな中、「『学歴』は『学習歴』で超えられる」と言っている人がいます。国内の独立系コンサルティングファームであるドリームインキュベータを創業した堀紘一さんです。
自分を変える読書術 学歴は学〈習〉歴で超えられる (SB新書) [ 堀紘一 ] 価格:864円 |
堀さんは東京大学法学部を卒業後、読売新聞に入社。その後、三菱商事、ボストンコンサルティンググループを経てドリームインキュベータを創業しました。
堀さんは人生を楽しく生きる方法には3つあると言います。
人生を楽しく生きる方法その1:金持ちの子どもに生まれる
人生を楽しく生きる方法その2:有名人の子どもに生まれる
人生を楽しく生きる方法その3:読書で教養を身に着けて一流の人間になる
金持ちや有名人の子どもに生まれなかったほとんどの人は、世間で超一流と言われている人の話を聞く機会がなかなかありません。そういった人たちの話を聞こうと思ったら人脈を辿り、高いセミナー料金を払って聞くところから始めなければなりません。そこまでたどり着くのには結構な苦労が伴うでしょう。
ですが、本であればそういった超一流の人たちが書いたものをものの1000円で読めちゃいます。僕たちがすべきは1000円札を持って自転車かなにかで近くの書店まで行き、その人の本を買うだけです。それすら面倒という人はamazonや楽天で買えば勝手に本が届きます。
超一流の本をひたすら読んでいれば、イヤでも考え方が超一流になっていきます。特に出版される本というのは論理的にスラスラと読めるようプロに編集されていますから、話があっちに行ったりこっちに行ったりするセミナーなどの「話し言葉」よりも吸収率が格段にあがります。しかも十分の一以下の値段で。
こう考えると、本を読まないという選択がどれだけもったいないことかがよくわかります。書店には世界中の英知が書いた本が山ほどあるというのに、なぜ多くの人は彼/彼女らの言葉に耳を傾けようとしないのでしょう?
堀さんは言います。
「どこそこの大学卒だから学歴が高いという風潮、つまり大学受験における偏差値で評価する日本の学歴の捉え方は、諸外国とは大きく異なっていることを知っておくべきだ。(中略)「学歴なんてクソくらえ」ということが本書を読み進んでいくことによってわかってもらえると思う。」
読書は、私達が人生をひっくり返す数少ない手段の一つだと言えるでしょう。
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世界を広げる読書
本を読むことについて書きたいと思います。
世の中には本当に沢山の本が溢れています。
沢山本がありすぎて、何から手にとったらいいかわからない。
自分が読めるような本なのかもわからない。
最後まで読み通せるかもわからない。
お金を出して、その分得るものがなければもったいない。
そんな思いを抱いておられる方が多いのでは?
多くの人にとって本を読むという行為の敷居が高く設定されているように思えます。
そんな方は、自分が面白そうだと思った本から手をつけてみてはいかがでしょう。
「本から何かを学びとってやろう」とか、「払ったお金の分、得した情報を獲得しなければ」といった思いはいったん捨てて、純粋に自分の心が惹かれる分野のものを読んでみると新しい世界が広がるかもしれません。
それに、「本を読むことで何か得して、他人を出し抜いてやろう」ということから始めると、読書が面白いものでなくなってしまう。
本を読んで、「あー、面白かった」となればそれは人生における一つの喜びなのではないでしょうか。
それで本が好きになって、じゃあ今度は読書を人生に活かしてやろう、とか仕事をうまくやるためにこれを読もう、というのは多いに結構だと思います。
ただ、入り口がそれだと読書から自分が想定した分の効果が得られなかった時、「本なんてこんなものか」となってしまうかもしれません。
およそ人間が興味を抱く全てのテーマにおいて何かしらの本が書かれているというのに、最初の数冊で本から思った効果が得られないというだけで読書を人生から切捨ててしまうのはあまりにももったいない。
あらゆる人にとって必読の書というものは存在しません。
物語が好きな人は小説を読めばいいし、恋愛なら恋愛、人の心なら心理学、運動が好きならスポーツの本、世の中の仕組みについて知りたければ社会科学。
興味の方向性は人それぞれ違うのだから、自分が興味を持ったものに触れればいいのだと思います。
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資本主義における「王道」
私達はどんな職業を選べばいいのだろうか。
就職活動をする学生に限らず、何をして生活の糧を得るかという悩みは多くの人が抱えるものである。
好きか嫌いか
やりたいかやりたくないか
得意か苦手か
稼げるか稼げないか
職業を選ぶにあたっては様々な指標がある。
何を一番大事なものとして決めるかはその人の価値判断と状況による。
たとえどれだけ嫌いでも金を沢山もらえるならどんな仕事でもやるという人もいれば、苦手な仕事をやるくらいだったら霞を食ってでも好きなことをやりたいという人もいる。
それは個別具体的なその人にしかわからない事情や状況、価値観があってのことだから他人がとやかく言うことではないだろう。
日本においてどんな仕事をするかは職業選択の自由によって好きなように選べることが保証されているのであるから。
だが、もしなにが自分の人生にとって大事な価値なのかがわからずどんな仕事をしたらいいのかわからないというのであれば、迷わず自分が好きなことを選ぶべきである。
もし金が沢山もらえるからといって嫌いな仕事を選んだらいつまでたってもその仕事に情熱を抱けず、たとえ努力をしても上達するのは容易ではない。
人間の脳は自分にとって重要でないと判断したものについては頭に残らないようになっている。
脳の性質上、その仕事が好きで好きでたまらなく一日中そのことを考えているような人間と、その仕事をどうしてもやりたくなくていかに楽をして早く帰るかということを考えている者では前者の方がよい仕事をするのは明らかである。
逆に自分の興味関心があること、好きなこと、情熱を抱けることを仕事にすれば、たとえ最初はうまくゆかなくともいずれ必ず上達する。
例えば100メートル走のような生まれつきの遺伝子が大きく影響する身体的な活動では、好きだからという理由だけでずっとやっていたとしてもその分野で抜きん出ることは難しい。
生まれ持った体格や骨格、筋肉量に大きく左右される分野だからである。
だが、そうではない仕事(頭を使う仕事と言っていいだろう)であれば生まれつきのものはさほど関係なく、トレーニングを積めば誰もがある程度の領域に達することができる。
例えばコンピューターエンジニアになりたいとしよう。
彼/彼女が有能なコンピューターエンジニアになるために必要なことは、頭の中にコンピューターエンジニアに必要な知識のニューラルネットワークを築くこと、ただこれだけである。
必要な知識を頭の中にインプットし、それを実践で使うトレーニングをする。
その頭の中にインプットした知識を有機的に繋ぎ合わせ、自由自在に引き出せるようになればコンピューターエンジニアリングのプロフェッショナルであると言えよう。
するとその分野での市場価値が高まり給与は自然とあがる。
好きなことをやっているのだから仕事を楽しめる上に、給与も自然とあがる。
長期的に見れば、自分の好きな仕事を選んで市場価値をあげる。これが資本主義社会における生き方の「王道」である。
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「問い続ける」ことの意味
「ある」とは何か?
死とはどういうことか?
人生に意味はあるか?
「善い」とは何か?
こういった答えのない問いを問い続けるのが哲学の営みである。
(おそらく)これらに対する普遍的な、絶対的な、誰もが納得のできる解答は存在しない。
そうとわかっていながらも問い続けずにはいられない、ある種病的な人種が哲学者である。
答えの見つからない問いを問い続けることが哲学なのであるから、それと逆行する行為は全て非哲学的行為となる。
例えば自殺。
これは問い続けることをやめる決断、思考停止のための手段なのであるから最も非哲学的な行為と言ってよい。
断定。
これも非哲学的である。
断定はそれまで積み上げてきた思考で満足すること、それ以上の前進をやめにすることなのであるから非哲学的である。
思想。
これも哲学ではない。
「上司の言うことは絶対」「他人には親切にしなければならない」「健康第一」こういったものは全てある種の思想であり哲学ではない。
哲学的に考えるのであれば上司(いや全ての他人)の言うことは1から10まで疑わなければならない。
他人に親切にしなければならないのはなぜかと問わねばならない。
不健康が本当に悪なのかを考え続けねばならない。
哲学においてはたとえどれほど苛酷な問いでもそれを禁ずることはルール違反である。
なぜ人を殺してはならないかという問いを禁じてはならない。
なぜ差別をしてはならないかという問いも禁じてはならない。
なぜ人類を絶滅させてはならないかという問いすら禁じてはならないのである。
「普通の」感覚を持つ人間ならばそういった問いを立てること自体に強烈な不快感を抱くような問いすら禁じてはならないのだ。
よって哲学はその性質上反社会的な側面を持つ。
その上これを問い続けたところで(おそらく)揺るぎない解答は得られないだろうし、実感を持って自分が納得できる答えを見い出せたところでただそれだけである。
だが、これを問い続けることでたとえ最初はどれほどひ弱でも少しずつ「考える力」が鍛えられてくる。
ものを考える持久力がついてくる。
腐敗臭がするほど世に溢れかえっているウソ・「常識」・欺瞞を見破れるようになる。
自分なりの「哲学」ができあがってくる。
私はそこに哲学の「オモシロさ」を見出すのである。
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リーダーの本質
優れたリーダーとは他人をまるで自分かのごとく扱う人間である。
世人のほとんどがここにとどまっている「自分はこうしたい」という自我の領域を超越している。
彼/彼女がそうかどうかは、その人に相談事を持ちかけさえすればわかる。
人から相談を受けた時はその相談相手がどうしたいのかを最優先とし、彼/彼女の願望を実現するための具体的な策を自分がこれまで培ってきた全ての知識・経験・知性を最大限に活用して提案する。
そこには「他人から相談を持ちかけられるほど優れた自分」が感じられない。
「相談者よりも高い位置にいる自分の正しい意見を押し付けたい」という臭みもない。
まるで自分自身のこれからの人生について真剣そのものと言うべき態度で考えているかのごとくである。
このような対象として考えられるものの範囲が広がれば広がるほど偉大なる先導者となる。
はじめは両親から始まり兄弟姉妹、親族、親しい友人や恋人などからとなるのが通例であろう。
こういった身近な人を思わずして地球の真裏にいる人達がどうのこうのと言うのには必ず嘘が含まれている。
目の前にいる人を思わずに「世界の貧困が」「戦争が」「差別が」などと語るのは、その渦中にある人々を思ってのことではなく「貧困」「戦争」「差別」といった「概念」に対する反抗である。
ここからは人が忘れ去られている。
人が忘れられているのだから、この種の人間が多くの人を率いる先導者となることはないだろう。
身近な人に対する思いが最初にあり、それが広がっていくことで次は例えば同じ地域の人間、所属する組織の人などを思うことができるようになる。
これがより拡大することで同じ郷里の者、同じ信仰を持つ者、信仰は違えど同じ民族の者、信仰も民族も異なるが同じ国の者といったように対象が広がってくるのである。
これが最後には人類、そして全ての生きとし生けるものへとたどり着くのである。
もし全ての生きとし生けるものを我が身のごとく思えるのであれば、この世にまれに見る先導者となることだろう。
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ペン1本で世界をひっくり返す
「ペン1本で世界をひっくり返す」
例えばアインシュタインはこれをやってのけた。
我々人間は身体的な活動がなされる物理空間だけに生きる動物ではない。
言葉をはじめ様々な記号が意味を持つ情報空間にも生きている。
世界を変えるとはつまるところ情報空間を変えることによって我々の物理的な身体が存在する物理空間を変えることである。
情報空間において世界を変えるとは、例えばいまだ発見されていない物理法則を見出しこれを理論化することである。
物理空間において世界を変えるとは、例えばその物理法則を用いて我々の物理空間を変容させることである。
それだけではない。物語を書き、読んだ人に涙を流させる。これは書き手が読み手の情報空間に働きかけたことによって身体中にある水分が眼球から流れ落ちるという物理空間の変容を引き起こされたものと言える。
この世界は情報として認識される。
ある思想を生み出し、それが地球から一切の殺し合いをなくしたのならばそれは人間の情報空間における活動が物理空間における人間の活動を変えたということになる。
人間の情報空間を書き換える最も強力な武器は言語である。
よって情報空間を書き換えることで世界を変えんとする者はその言語運用能力を徹底的に鍛え上げなければならない。
そしてそれを用いてなにかしらの理論を構築するなり、物理空間における人々の行動を変えるような思想を打ち出すなり、人間の心を大きく揺さぶるような表現をするなりしなければならない。
それがつまりは「世界を変える」ということである。
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